是枝監督「怪物」はホラー映画か?教育の視点から感想書いてみた。

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先日、是枝監督の「怪物」を映画館で鑑賞しました。この記事では、映画「怪物」を教育という観点から読みときます。

この記事は映画「怪物」のネタバレをふくみます。まだご覧になっていない方はお気をつけください。

「怪物」はホラー映画ではなく、社会風刺を込めたヒューマンドラマだった

この映画は、湖がある町でおきた些細な事件に、保護者、教師、子どもたちという3つの視点からせまる作品でした。


私はこの作品を観て、「ある1つのものごとでも、視点によってその姿形はまったく変わってくる。

そしてそのズレをすりあわせていく方法こそ、共感性と想像力、そしてコミュニケーションだ」ということを感じました。

教育現場あるある、保護者と教師の視点のズレ

まず、映画前半で明らかになるのが、保護者視点と教師視点のズレ


シングルで子育てに奮闘している母は、息子のくつが片方なくなったり、学校から怪我をして帰ってきたりしたことで、
息子が学校でいじめを受けているのではないかという疑いを持ちます。


そして息子に問いかけたところ、教師に「お前の脳は豚の脳だ」といわれたと言うのです。
これにより、母は学校に説明を求めるという展開になります。


しかし、実はこの保護者の認識は誤解であり、
教師がその子をいじめているという事実はなかったことが、後の教師の視点から判明します。


にもかかわらず、教師は管理職から「ことを大きくしないように」という指示を受け、
真相をしっかりと説明する機会もないまま、濡れぎぬを受け入れ、保護者に謝罪することになってしまうのです。


ことを大げさにしたくないから学校ぐるみで隠蔽するという描写は、少し大げさかなという印象を持ちましたが、
多かれ少なかれこうしたことは実際の学校現場でも起こっていると感じました。


少しマジレスをすれば、学校側がしっかりといじめの事実確認を行い、誠実にありのままを保護者に伝えれば、

保護者も納得できたのではないかと思います。


特に学校というものは、外から見ると閉ざされた印象が強いため、

なるべく情報を開示して情報のズレをコミュニケーションによって埋めていくという心構えはとても重要です。

この保護者と教師のミスコミュニケーションは学校側の工夫次第で、いかようにも改善できると私は感じています。

すりあわせは難しいけど、埋め合わせないといけない大人視点と子ども視点のズレ


一方で、重要になってくるのが大人と子どもの間でのミスコミュニケーションです。


この映画で是枝監督が表現する子ども像は、ある意味で的を得ているな、という風に感じました。

まわりの大人の価値観をダイレクトに受け入れ、子どもの世界は大きく影響を受けていきます。

周囲を取り巻く大人たちの価値観が、子どもたちのセリフからにじみ出していました。

一方で、子ども間の独自の世界観も存在しており、その典型例ともいえるのが映画にも出てきた、秘密基地の存在でしょう。

映画の中では、大人たちは子どもたちの世界からこぼれ落ちた断片的な情報から推測を広げていきますが、その核心にはなかなか迫れません。

この大人と子どもの視点のズレが、物語に意外性と奥行きをもたらしていたと感じました。


さらに、この作品では子どもの同性愛に関しても踏み込まれていました


子どもは自分の気持ちを表現したり言語化する術を持ち合わせておらず、モヤモヤした思いを抱えやすいです。
ましてや、同性愛が大人の世界でまだ完全には受け入れられていないという点で、
子どもたちは自分自身が「普通」ではない存在なのではないかという葛藤を抱えることになります。


そうした葛藤やモヤモヤを抱えながら子どもたちは成長していく、というメッセージも込められていたように感じました。


大人と子どもの視点のずれは、教師として常に意識する必要があり、すりあわせが難しいものであるとも言えます。
子どもからの言語外のメッセージに敏感に気づき、その世界を少しでも読み取ろうと試みることが、大人側には求められると思います。

また、そうした気持ちをしっかりと表現する術を身につけさせることも、大人の重要な役割ではないかと感じたところです。

さいごまでお読みいただき、ありがとうございました。

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